このサイトはICU(国際基督教大学)の大学紛争(闘争)に関する歴史を再考するためのもので区切りとして1966年から1970年をクローズアップするものです。さかのぼって考えれば、この大学がどのような歴史の中で望まれ、設立されたのかを知る必要はありますが、1966年12月12日の国際基督教大学新聞号外に掲載された「紙上SFC(Students & Faculty Committee 教授 学生 委員会とも呼ばれた)」についての考察や1966年のICUや他大学の状況紹介などの次回「本編」に入る前に、さらに「予告編part2」として前年1965年の記事を一つ交え、1966年の新聞記事のいくつかをご紹介したいと思います。記事の文面で判読しづらい点、ご容赦ください。
この1965年の読売新聞(東京 夕刊)12月16日の記事を以下引用。「(前略)生活共同組合設立をめぐって、学生会と大学当局が対立、学生会側は十六日朝から一般学生に呼びかけて大学創設いらい初の全学ストに突入した。 問題はさる四月、民間業者の経営する学生食堂が物価上昇を理由に、食費の四十%値上げを申し入れてきたことがきっかけ。これに対する学生会は、生協の組織作りを大学側に提案、学生教授連絡会(引用者註:SFC Students & Fuculty Committee)を開くなどして話し合いを進めた。ところが大学側は「学生数千百五十六人(うち外人学生百五十人)という小規模な学校では経営が不安だ。そのうえいまの大学の生協組織は学生の政治運動の核として、外部の介入も招いており、学園の秩序を乱すおそれがある」と現段階では学生生協を認めない方針を決め、全学スト動議を出した学生会の執行委員長ら四人を休学処分にしたため、このストとなった。」
今回のこの「予告編2」のひとつ前の予告編で、中央教育審議会(中教審)の出した、後期中等教育(中学を終えた15歳から18歳までの青少年の教育)のあり方についての答申の内容をご紹介しました。(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chuuou/toushin/661001.htm#3 文部科学省ホームページより)
その答申について、中教審会長の森戸辰男氏、文部大臣 有田喜一氏、日教組委員長 宮之原貞光氏の3氏が語る見解を答申の出た翌日1966年11月1日の朝日新聞の記事から見てみましょう。
以下は各氏の発言からの抜粋
中教審会長 森戸辰男氏
「能力開発のための教育の多様化、専門化の方針を打ち出した。」「いまの若い人たちは、この時代にどう生きるべきか、民主主義、平和主義とは何か、などについて悩んでいる。だから人間像の、特に『当面する日本人の課題』では、この時代にどう対処し、どんな生き方をしたらいいのかを説いた。青少年に、一つのイメージをあたえたものと思う。」
文部大臣 有田喜一氏
(「期待される人間像」について)「教育憲章などにして押しつけるのは問題だが、教育者はもとより一般国民もこれをよく読んで、いいものはとり入れてほしい。」
日教組委員長 宮之原貞光氏
(「期待される人間像」について)「この人間像は『人間である前に日本人であれ』という精神につらぬかれている。」「発想が根本から逆立ちしている。」
この中教審答申が出たほぼ1か月後の12月1日に国立大学協会から、目立ってきた大学紛争問題に対して「学生問題に関する所見」が発表されます。それについて、新聞ではどのような評価が出されていたのかふたつの記事を見てみましょう。
最初は読売新聞1966年12月1日「学生自治の正しい路線ー国立大学協の所見から」という解説記事です。
ここではおもな内容やそれに対する評価をあげています。まず、国立大学協会学生問題特別委員長(当時京都大学学長ー総長)の奥田東氏が、発表に際し、「精神は東大パンフレットと同じだと思う」と発言したとあり、その「東大パンフレット」の説明があります。前年1965年に東京大学の学生委員会と学寮委員会とで出した「大学の自治と学生の自治ー最近の学生自治会活動に関連して」という印刷物で「いわば東大の公式見解」とこの記事で紹介されています。
「大学が教育上の立場から公認した学生の自治活動については、大学は外に対しもちろんこれを擁護し、外部からの介入を拒否する意志を持っている。しかし大学が外部に対しそれだけの責任をとりうるには、学生が大学の方針を尊重し、一定の規律に従って自治の伸展をはかることが前提とされなければならない。」とある、そのパンフレットを踏襲したものと、この時の国立大学協会の所見は奥田氏に説明されています。
「現在の大学では、学生は教育を受ける者として一定の制約を受けるのは当然で天から与えられたような自治権を主張することは根拠に乏しいという」とは、その「所感」での説明です。
こうした見解に対し、日教組の批判が紹介されています。
その批判についてこの記事では「その(引用者註:「所感」の)歴史的分析は『非科学的』であり、学生運動に対する警察権の介入を問題としながら、学生集団の自治活動を取り上げ『権力の干渉と違った意味で重大な損害を招く』と集団的な政治活動を禁止したのは、ファシズムと社会主義を同一視した官製の考え方と同一だと、きめつけている。」と締めくくられています。
ひとつ前は読売新聞の記事のご紹介でしたが、翌日(1966年12月2日)朝日新聞の社説でも、この国立大学協会の「学生問題に関する所見」について取り上げています。
以下社説より抜粋
「…その(引用者註:「学生問題に関する所見」の)内容は常識的なもので、大方の賛同を得られるものであろう。」「協会の『所見』は、学生の自治活動の必要性を認めたうえで、しかし学生自治はあくまで大学の秩序のワク内で認められることを強調している。」
「大学は他の組織とちがい、教育機関であるから、紛争の処理も事務的に運ぶわけにはいかない。ただ、そのような事情を考慮しても、大学の教育にあたる人たちの日ごろの学生指導に不十分な点がなかったとはいえない。『所見』はその点を素直に認め『教官と学生との間のコミュニケーション』の回復を説いているが、これは今後、大学側に課せられた宿題のひとつといえよう。」
また、同じ日(1966年12月2日)の読売新聞夕刊には、「転機に立つ戦後教育」として、その1年を振り返った、教育担当記者3名の座談会が掲載されています。他の部分にもとても重要な指摘がありますが、特に、小見出しの 能研は一度解散したら というところに、ICUで入試への導入に関して議論が起こった能研テスト(能力研究所による、のちの共通一次やセンター試験入試につながるようなテスト)についての言及には注目すべきでしょう。A記者の発言の一部に赤線をつけましたが、その部分を引用してみます。
「…大学入試改善では今年本番を迎えた能研は受験者は大学受験志望二十二%二十四万五千人と昨年より落ちた。どうも改善のキメ手になりそうにない。」「こうなったら一度解散して東大など有名国立大学の協力を得たり、日本最高の教育学者や心理学者を集めてやり直すしかない。」 東大など有名国立大学の協力、とか、日本最高、という言葉に、やや権威主義的ですがその時代らしい気負いが感じられる気がします。なお、小見出しの「能研」は能力研究所の組織を、後の文章中の「能研」はそこで作られたテストを指しているものと解されます。能力研究所は、1963年に中教審の答申「大学教育の改善について」に基づき「共通的・客観的テスト」の開発・調査・研究を目的に、約100憶円の国庫補助を得て設立された財団法人能力研究所で昭和43年ー1968年-度をもってテスト事業を終了したそうです。
(能力研究所については、文科省ホームページの「学制百年史」の九、高等教育機関入学者の選抜のページhttp://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317828.htmを参照しました。)
このような流れの中で、先の予告編でご紹介した毎日新聞の2月12日の記事が出てその10日後までの経緯が次のように、朝日新聞1967年2月23日の記事で報じられることとなったのです。
今回の、「予告編2」でご紹介した新聞記事のうち、最後のものは、国際基督教大学同窓会発行の『ICU学園紛争 その問題点をこう考える 同窓生ティーチイン報告書 1967年6月24日~25日』からの転載です。その他は、千代田図書館で、当時まで遡って記事が検索できる朝日新聞と読売新聞のデータベースからの記事をプリントアウトしたものです。(予告編の文責 村田)
ICUの学内メディア「ウィークリージャイアンツ」に4月15日、当プロジェクト紹介記事掲載!!
→http://weeklygiants.co/?p=8233 (なお、記事中で言及されている、ICUの大学紛争に関するテーマで卒論やリポートをICU生が提出できたのは、この3月でICUを退任された、
近代日本史のウィリアム・M・スティール先生のご指導のもとでした)(2018/4/18)