1967.1.12付 国際基督教大学学生新聞 号外

2019年も半ばを過ぎようとする現在、なぜ52年も前のICUの学生新聞の号外に注目するのかと言えば、この記事(1967年1月12日付 国際基督教大学学生新聞 の号外から、この1967年初めの受験料値上げや能研テストの入試導入反対運動で、大学側と学生側にどのような認識の違いがあったかを、当時の実際の両者の議論を通して考え直すことが必要と思われたためです。その2年後に大学側が活動家学生の排除のためとして、本館、N館、図書館、教会、D館を鉄柵で囲む(1969年10月末から翌年3月)に至った「三項目闘争」問題を調べていく中でも、この時の議論がきちんとした形で結実していれば、あのような結果には至らなかったかもしれないと感じました。

文字が小さく大変読みづらいですが、PCやスマホ画面での拡大操作によって原資料に触れて頂ければ幸いです。

 

 

ここで再現されている協議の記録方法や参加者について

 

「紙上公開 12.2 緊急SFC」と線で囲まれ、「受験料値上げ・能研採用 全くあいまいな根拠」と白抜きの見出しがついた部分の採録記事(表面、裏面共に、上部より縦の幅3分の1あたりから)にまずご注目ください。この協議の場には、大学側からは、讃岐助教授(学生部長)中島教授(財務)原教授(入学事務部長)の3名と書記1名が参加。学生側は、安斎(So) 鈴木(So) 有坂(So)の3名と書記1名が参加と書かれ、録音テープから主要な討議をできるだけ詳細に抜き出したことが、紙面でも説明されていいます。 (括弧内は当時の役職や学年。SoはICU生にはおなじみですが、sophomoreの略で2年生を表しています) 

 

用語の補足説明 

 

SFC: 学生・教授・協議会のこと。英語表記ー Students Faculty Council ーの略称としてSFCと呼ばれていた。学生の代表と教員の代表である教授らが諸問題を協議する場であった。ここでは前年1966年12月2日に開催されたSFCを紙上で再録している。

 

受験料値上げ: 1962年以来3600円だったものを1968?年度から値上げすることになっていたがその経緯が書かれている。

 

生協闘争: 本サイト「ICUの学生運動史」の項を参照のこと。1963~1965年。その後も生協設置運動があったと聞いている。

 

能研闘争: 本サイト「ICUの学生運動史」の項を参照のこと。以下の能力開発研究所についての説明で、能研テストについても説明されている。1967年の入試での導入は、この能研(テスト)(反対)闘争により、行なわれないことになった。

しかし、その他の学生の不満が、その後1969年の「三項目闘争」(本サイトの「ICU学生運動史」を参照のこと)につながった。

 

能力開発研究所: 本サイト「ICUの学生運動史」の項を参照のこと。1963~1968年に政府の支援で活動を行い、全国の高校生がどこに住んでいても受験できる大学進学のための適性検査(能研テスト)を実施し、その得点結果を各大学が自由に入学者選抜に利用できることを目指した。

 

滝本内閣:最後のひとつ前の学生会の執行部。11期(院1971)の滝本氏が会長となった学生会の執行部。

 

残務整理内閣: 13期の有坂氏が会長となった最後の学生会の執行部。 

 

期待される人間像:1966年(昭和41年)10月31日に発表された中央教育審議会の答申で使われた言葉。この言葉については、本サイトの予告編1にも記載がある。期待する主体が産業界なのではないか、など議論を呼んだ。

 

なお、当時のことについて、大学側と学生側の出席者のそれぞれ1名に現在の見解を尋ねましたが、元学生からは当時のことについては思い出すのもつらいと、未回答でした。両者を並置して読者に提示したいと思っていたため、元教授から寄せられた見解、補足説明も、現段階では未開示とさせて頂きました。(2019 5.31 当記事の文責 村田)